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おきなわ

日本遺産

The Guide of JAPAN HERITAGE TOURISM
in Okinawa

琉球王国の成り立ちや中国との関係などをしることでより面白くなる日本遺産巡り。
豆知識や歴史を学んで、スポットを訪れてみよう!

琉球王国の成り立ちや中国との関係などをしることでより面白くなる日本遺産巡り。 豆知識や歴史を学んで、スポットを訪れてみよう!

「世界遺産」とは違う「日本遺産」って何だろう?

「世界遺産」と言葉が似ていて混同しがちな「日本遺産」ですが、認定されるための条件は大きく異なります。 「世界遺産」は、指定される文化財(文化遺産)の価値づけを行い、保護することを目的としているのに対し て、 「日本遺産」は、地域に点在する遺産を活用し発信することで、地域の活性化を図ることを目的としていま す。歴史的経緯や、世代を超えて受け継がれている伝承、風習などを踏まえたストーリー(物語)を文化庁が認 定したものを「日本遺産」と呼びます。

「世界遺産」と言葉が似ていて混同しがちな「日本遺産」ですが、認定されるための条件は大きく異なります。 「世界遺産」は、指定される文化財(文化遺産)の価値づけを行い、保護することを目的としているのに対して、 「日本遺産」は、地域に点在する遺産を活用し発信することで、地域の活性化を図ることを目的としています。歴史的経緯や、世代を超えて受け継がれている伝承、風習などを踏まえたストーリー(物語)を文化庁が認定したものを「日本遺産」と呼びます。

2019年に認定された沖縄の認定ストーリー!

琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な
「琉球料理」と「泡盛」、そして「芸能」

沖縄県はかつて琉球王国と呼ばれ、日本本土とは異なる、独自の文化を形成しました。「守礼の邦=礼節を重んじる国」を掲げ、訪れる外国の賓客を温かくもてなしてきました。特に、中国皇帝から派遣された冊封使節団[さくほうししせつだん]は滞在期間が約半年間に及び、その期間は、彼らをもてなすために料理や芸能に力を注ぎました。そこで供された宮廷料理や御用酒泡盛、宴を盛り上げた芸能は、今も沖縄の誇りとして県民に親しまれています。
琉球王国時代に育まれた食文化と芸能は、「世替わり」の歴史を映しながら、連綿と続く「守礼(礼節を重んじる)の心」が受け継がれています。

沖縄県はかつて琉球王国と呼ばれ、日本本土とは異なる、独自の文化を形成しました。「守礼の邦=礼節を重んじる国」を掲げ、訪れる外国の賓客を温かくもてなしてきました。特に、中国皇帝から派遣された冊封使節団[さくほうししせつだん]は滞在期間が約半年間に及び、その期間は、彼らをもてなすために料理や芸能に力を注ぎました。そこで供された宮廷料理や御用酒泡盛、宴を盛り上げた芸能は、今も沖縄の誇りとして県民に親しまれています。 琉球王国時代に育まれた食文化と芸能は、「世替わり」の歴史を映しながら、連綿と続く「守礼(礼節を重んじる)の心」が受け継がれています。

三山を統一し誕生した琉球王国王都は、礎を築いた
浦添[うらそえ]グスクから首里城へ移る

琉球王国が誕生する以前は、3つの勢力(北山、中山、南山)が激しい争いを繰り
広げていました。この頃を、「三山時代」と呼びます。1429年の中山王・尚巴志
[しょうはし]による統一で、三山の争いに終止符が打たれました。王都は「浦添
グスク」から「首里城」へと遷都されましたが、琉球王国の礎を築いた浦添市に
は、初期琉球国中山の王陵である「浦添ようどれ」や、首里から浦添グスクを繋ぐ
石畳の古道など、当時の面影を残す史跡が今も残されています。
琉球王国が誕生する以前は、3つの勢力(北山、中山、南山)が激しい争いを繰り広げていました。この頃を、「三山時代」と呼びます。1429年の中山王・尚巴志[しょうはし]による統一で、三山の争いに終止符が打たれました。王都は「浦添グスク」から「首里城」へと遷都されましたが、琉球王国の礎を築いた浦添市には、初期琉球国中山の王陵である「浦添ようどれ」や、首里から浦添グスクを繋ぐ石畳の古道など、当時の面影を残す史跡が今も残されています。

琉球王国は、アジアとの国際貿易によって繁栄した

浦添から首里に王都が遷都されたことにより、貿易の拠点も牧港から那覇港に移されました。統一される以前から、アジアとの交易活動は活発に行われていましたが、大型船が着港できる那覇港を拠点としたことで、貿易はさらに盛んになり、琉球王国は大きく発展しました。当時那覇には、中国から移り住んだ華人や日本人などが生活の拠点を置き、国際港湾都市として繁栄し賑わいをみせていました。

中国から来る使節団冊封使[さくほうし]をもてなした“宮廷料理”と“琉球芸能”

琉球王国の時代には、新国王を任命するための儀礼を行うため、使節団である冊封使が、琉球を訪れていました。その数なんと400人あまり! 約半年の滞在期間中には、様々なおもてなしが行われました。三十数品にも及ぶ中国風の料理が振る舞われたり、色彩豊かで華やかな紅型衣装を身にまとった琉球舞踊が演じられたほか、のちにユネスコ無形文化遺産にも登録される宮廷芸能の「組踊[くみおどり]」が誕生し、披露されました。

東南アジアから伝わった接待の御用酒として振る舞われた泡盛

15世紀頃、東南アジア、特にシャム(現在のタイ王国)との交易が盛んだった琉球王国は、蒸留酒とその製造技術を琉球に持ち帰り、泡盛が製造されたといわれています。17世紀、泡盛の製造は首里王府の厳しい管理の下、城内の銭蔵[ぜにくら]という施設に金銭とともに保管されていました。主に冊封使などの接待用として振る舞われていたそうです。

琉球王国から受け継がれた文化は、観光でも楽しめる

1879年の日本政府による「琉球処分」により、400年以上続いた琉球王国は、幕を閉じました。しかし、当時の工芸や芸能、料理などの文化は今も脈々と受け継がれています。多くの陶工がいた壺屋[つぼや]エリアのやちむん通りを歩けば、たくさんのやちむんと出合えたり、沖縄の飲食店ではおいしい泡盛や沖縄料理が堪能できます。

日本遺産と出合える那覇・浦添のスポット

史跡から郷土料理、芸能など、日本遺産に認定されたストーリーを構成する文化 財は、那覇市14件、浦添市10件、共同5件の合計29件あります。ゆいレール や公共路線バスを使えば、駐車場や渋滞の心配をすることなく散策できます。
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浦添城跡の「前田高地」が、外国人観光客の間で話題に!?

前田高地 マップを見る

沖縄県浦添市仲間2丁目

ゆいレール/浦添前田駅から徒歩18分

バス停/「仲間」バス停系統/55

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島国の沖縄を大陸のように見せた緑に包まれた識名園

識名園[しきなえん] マップを見る

沖縄県那覇市真地421-7

バス停/「識名園前」バス停から徒歩4分

系統/2 3 4 5 14 

球王国の政治、外交、文化の中心地 周辺には歴史的建造物が点在

首里城跡 マップを見る

ゆいレール/首里駅から徒歩15分

バス停/「首里城前」バス停から徒歩1分

系統/7 8 

伝統の登り窯が見られる 陶器店が並ぶ焼き物ストリート

壺屋やちむん通り マップを見る

ゆいレール/牧志駅から徒歩10分

バス停/「壺屋」バス停から徒歩2分

系統/5 9 15 17 30 31 55 56 90 97 98 112 125

航海安全の神である媽祖[まそ]を祀る久米村にあった上下の廟

上天妃宮跡の石門 マップを見る

ゆいレール/旭橋駅から徒歩5分

バス停/「久米」バス停から徒歩1分

系統/1

第一尚氏時代の隆盛を象徴する「旧首里城正殿鐘(万国津梁[しんりょう]の鐘)」を展示

沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー) マップを見る

ゆいレール/おもろまち駅から徒歩10分

バス停/「県立博物館前」バス停から徒歩すぐ

系統/(市内線)3 7 10 *市外線もあり

「組踊」や「琉球舞踊」など 沖縄の伝統芸能を定期公演

国立劇場おきなわ マップを見る

バス停/「国立劇場おきなわ」バス停から徒歩1分

系統/309 334 339

琉球王国を築いた 英祖[えいそ]王と尚寧[しょうねい]王が眠る墓

浦添ようどれ マップを見る

ゆいレール/浦添前田駅から徒歩15分

バス停/「仲間」バス停から徒歩10分

系統/55

首里と中北部を結んだ宿道 2つの石橋を復元

中頭方西海道[なかがみほうせいかいどう]の安波茶橋[あはちゃばし] マップを見る

ゆいレール/浦添前田駅から徒歩15分

バス停/「茶山団地前」バス停から徒歩2分

系統/191

300年の歴史を誇る 組踊創始者の墓

玉城朝薫[たまぐすくちょうくん]の墓 マップを見る

ゆいレール/経塚駅から徒歩5分

バス停/「国際センター入口」バス停から徒歩9分

「前田西入口」バス停から徒歩14分

系統/56 87

おきなわ歴史年表

(主なできごと)